2002.6.30

塗装交流会のメンバーに会うために東京へ向う
埼玉へ寄る為、関越経由で行く
若いメンバーは、やはりいい、いつものことだが、私が一番年上

夜は、四季の湯にて泊まり

飲みつかれたのだ
本日で、等シールペイントの21期目の決算になる
やはり、売上は落ちているが、何とか黒字になるだろうか?
2億の売上確保が難しいかもしれない
ただ、社員全員、外注も毎日10人以上が、休むことなく平均に動いているから同業他社よりいいかもしれない
そんなことを考えながら、決算期最後の夜を過ごす

明日から新年度だ、新たな手を一つ打つ準備はある!!!
2002.6.29

清陵同窓会
55歳で幹事役になり、同窓会をやりくりするのが慣わしになっている
54歳が、そのお手伝いということで、今日一日こき使われる為に、ホテルベニヤに11時に集合
55歳というと、定年退職の始まり、そしてこれを機会に新しい門出を迎える年齢でもある
55年を振り返り、同級生と一致団結して、事にあたる
今までは、社会で一丁前のことをいい、行動してきた人々が、他人を見ながら自分を振り返る
いい機会だ。

   
ストロボは必要ないようです。次年度幹事たちが先輩幹事にこき使われ、Tシャツ、CD他を、一生懸命売っています
千万人といえども我行かん、の精神が我らの人生を狂わしてしまった事も多々あったようです。つまり、失敗が・・・・・


   
会長の挨拶・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・かった。       昔話に、花が咲き、懐かしく思い出す

         
茅野市の市長ではないですか!!                     粋な、辰野の御医者さんです、

   
政治の話ではないような気がする? 次年度幹事、頑張れ!!300人以上集められるか???この頭に誓って。


歯科医・会社経営・市長・大学教授・テニス一筋などなど・・・・・・・・・・

こんなことをして、大騒ぎをしていると、携帯が何度もなるので、廊下に出てかけなおしてみると、姉が電話の向うで騒いでいる。何事かと聞くと、娘の涼子が、下諏訪の媛様コンテストで「絹媛」になったとの事。「あんた達の家では誰も来ていないじゃないの!カメラはないし、ほんとにいいかげんな親なんだから」とわめいている。一応、コンテストに行くということは前日に聞いていたから知らないわけではないのだが、女房はテニス、父は同窓会等でぜんぜん頭になかった為に、ほんと、びっくりした。
商品がハワイ旅行ということで多分本人はそれ狙いのはずなのに、うまく、やったね!
帰ったら、娘いわく「又、ハワイへ皆で行こうね!」だと! つい本音が出たかな?何はともあれ、めでたい。親はオメデタイのだ!!!
2002.6.28

今朝銀行との、戦いに勝利した宗義君は、朝からテンションが高い
やることすべてが、思い通りにいくではないか。
もっとも、ほとんど、変わったことをしないのだから思い通りのはずだ。

銀行との、戦いに勝利し、意気揚揚と社交ダンスサークルへ赴き
2時間たっぷり運動し、我が家へ帰り、まあ、家族といわゆる団欒の時間を過ごし
満足して、寝室へ入ったとたん、何だコリャ!!!!!!絶句
羽蟻が、わが安眠を約束するべき羽根布団の上にうじゃうじゃといるではないか。
一瞬、パニック。全身に寒気が。どうしよう
そうだ、文明の利器を使い吸い込むのだ。階段のしたの物置からめったには自分では使わない掃除機を持ち出し
ビュー-ンとスイッチオン。羽蟻を吸い込むはずが、布団カバーを吸い込んでしまいダメ
すぐさま、ボヤボヤ付の特殊ノズルを取り出し、自分に当ててテストをする、気持ちがいい
良しコレで、羽蟻との全面戦争だ
ビュー-ン!!おうおう!コレは正解彼ら黒い羽根付の戦士達があの筒の中へのた打ち回りながら吸い込まれてゆく。事前に殺虫剤で殺してから死体を処分するか、掃除機のひつぎの中で生きたまま死を向かえるかは今はこの私の神の手の中にある。どちらを選ぶかは、おいらの美学にもとづくのだが、結局彼らには静かな死を与えることとした。
布団カバーと布団の間にまでやつらは入り込み、吸引作戦にも限度が・・・・・・
仕方なく、布団ごと一掃することにしベランダに持ち出す
シーツも外し、マットをひっくり返し掃討作戦にでる
ッジャジャジャージャ、ジャジャjンジャ〜ジャジャジャンジャージャ〜
地獄の黙示録・・なのだ
蛍光灯の中まで、たんすの陰、障子とガラス戸の間に潜むやつ
片っ端から吸い込む。ヒュンヒュン・・・・
しかし、ゲリラはいるものだ
特に、小型戦士は、困る。見えない、隠れるのが早い
ついに、毒ガス作戦にでる。プシュー・プシュー!!!!!
のた打ち回る、敵をさらに吸い込む
夜中の1時作戦終了。とりあえず睡眠状態に入るも、夢にでてきそうでいやな感じ
明日の朝残党狩りの楽しみを残して
おやすみなさ〜〜い  ああ疲れた!
2002.6.27

ああ!又月末。
銀行との戦い。いや違う。
数年前まではいかにして銀行をだまし、運転資金をゲットするかに命をかけていたのだが、いまや、銀行の社宅に住み(住宅ローンで銀行の抵当に入っていて、さらに生命保険までもかたにとられてしまっているのだから、社宅の表現が正しいのだ!!!!)銀行の所有の店舗を借り、車までもローンですべての所有権は借金がある限り銀行のもの。おかげで、月末の運転資金借入の為の資料は、つじつまが合わなければ、認めてもらえず試験結果を待つ、受験生のごとき息の詰まる思いを毎月しなくてはならない。

数年前の借入の仕業が、いま、つじつまが合わなくなり、ああ困った!
銀行員も、当然わかっていながら、「おかしいですね〜この工事は何処へいったのでしょうね!」などと、ざくっと切込みを入れてくる。肉で言えば上カルビの脂肪分の多いところを脂のたっぷりついた、包丁で切るような感触だ。宗義君は、あの血の滴る新鮮なレバーをさばく時に、包丁をとぎ、にたっと笑い、横からスーと包丁を入れるあのすきっとした感触が好きなのに。でも、そんな感触を味わうときは、滅亡のときだろうな。

それでも、今月も、だますことなくつじつまが合い、めでたく、銀行との戦いも決着つき。わが勝利の雄たけびを上げるのであった。ちゃんちゃん。
2002.6.26   雨、寒い
八ヶ岳連峰


みどりも、しっかりしてきた
ちょっと走るとこの八ヶ岳の峰・峰・・・・・
つい、3ヶ月前までは白く雪をいただいていたのに
季節の移りは早い
でも、毎年同じ風景がやってくる
自分は、一年ごとに老いて行く
人間の営みは小さい

夜、高校のバスケの父母の会の集まりがあり
清陵会館まで行く
同級生の伊藤長重君が顧問でいてくれた
父母の会の会長を承る
まあ、せいぜい応援に行き、楽しませてもらおう!
2002.6.25  雨のち霧雨

諏訪湖カントリーにてロータリーの会長杯ゴルフコンペ
諏訪湖ロータリークラブとの対抗戦も同時に行い
結果僅差で団体戦負け
昨日の練習の成果がありドライバーが良い
いっしょに回った伊藤さんにドライバーだけはいいねなどといわれてしまった
田村君、御疲れ様。なれたかな?
真道さんも御疲れ様
久々に、馬も取り、ドラコンも取りまずまず。
必ず下がればあがるという、信念の元に頑張ってきた成果かな?
下がればあがる、これはじっとしていてもだめ
でも、むやみに動いてもだめ
仕事と同じ。
今は、最低の時期なのは誰もがしているし、困っていいる
楽天的に底をついたから後は良くなるなどという、あほな大臣は何の努力をしているのだろう

ゴルフだってなんだってスランプに陥ったときは振り返り問題点を暴き出す
そしてまず一番大事なことは、止めないこと。
今回、わかったことは、地に足がついていなかった為に
ボールをクリーンに捕らえることが出来なかっただけだった
それなのに、あせり打点を変えたり、スウィングを変えたり・・・・・・
基本は、どれだけ地に足がついているかどうかなのだ

地に足がついた仕事をしよう

夜間例会
次年度への引継ぎ
SAAの役目が待っている
大いに盛り上がった
2002.6.24  又月曜日

仕事はたくさんあり、社員も職人もそれなりに動いているのに
不安だ、入金の遅れが目立ち
先々の仕事の予定も、なかなか決まらない
もともと、建設の下請けの仕事が多いのだから
元請に、頑張ってもらわないと、仕事のありつけない
そんな中で、大泉方面へ行く
別荘関係の塗装着工中が13件ほど大体7月いっぱい
結構がちあってしまいそうだ
最近の内部の仕上の傾向として、シックハウス症候群防止の為
ボード張りの上にAEP仕上が多い
別荘一軒でも200uからの塗装になってしまう
ジョイントのパテ仕上等も熟練を必要とする仕事だ

苦節10年で日本の在住ビザを獲得したイラン人の橋本エナエットのパテの技術はすごい
今は、外人は建設現場で働くのは大変困難を極める
その中で、彼も努力したが、会社も努力した
彼の、書類を各社に提出し、正式なビザのあることを示し
言葉を教え、安全会議を行い日本人と同じに扱うようにする
全責任は、当然社長が取り
私生活では、国保に加入、各種保険も充実と私にとって見れば
大変面倒で根気の要る作業だった
もし、自分が彼の立場だったらと考えると、何とかしてやりたい

夕方より、惣持院の職人を招いてのお祝いに出かける
結局、妹尾・石田組社長と3人で二次会
娘に迎えに来てもらい、深夜帰還
2002.6.23 日曜日

昨日の疲れあり
ゆっくり休む
夕方、打ちっぱなし練習場へ
200球打つ
打ち方を思い出してきた

そよ風サークル、ワルツの日
筋肉をほぐしながら、山の疲れを取るべく運動する
幸い、涼しい日だったので、適度の汗で清んだ
2002.6.22  晴れ時々曇り
小口君を誘って、硫黄岳へ登る
目的はいくつもあってまず第一は、仕事の下見
第二は、岡谷エコーロータリーのタルチョ祭に参加すること、第三に
小口君に、八ヶ岳関係の仕事等を見てもらったりすることなどなど・・・・
5時半に会社集合
桜平から夏沢鉱泉までジープで、6時到着
車を置かせてもらう旨伝え、さて、硫黄へ

      
  桜平までの途中つつじ満開                夏沢峠  7時20分

      
   さすがに、寒い                      こんなかわいい花が

           
   はるかかなたにヒュッテ夏沢  7時15分       霧・雲?ケルンを頼りに進む

      
   石楠花                  爆裂火口を背に  かなり寒いのに半そで

      
   知らない花                         8時山頂到着

   
   久しぶりの山頂、快調に来た。ぐるっと回り、オーレン小屋で休憩し、10時に夏沢鉱泉に到着・予定より1時間も早い。例会に間に合う。
   
      
   この二人、同級生。タルチョの準備          皆で協力する

      
はためく、つまり、1回はためくと1回お経を唱えたこととなるようだ。会長の点鐘はなんと代用にフライパン!!!エコーロータリーの人たちは実に愉快だ。
    
この後、宴会。酒がすすむに従い通りがかりの若い登山者を捕まえては食事を勧め、もうしっちゃかめっちゃか。ああ、楽しかった。ご馳走さま。
縄文の湯に入り帰途につく。
午後は、熟睡
  
2002.6.21
2002.6.20   天気曇りちょっと雨

もう、最悪
HATIJUNI KONPE
2002.6.19  天気  暑い快晴

昨日と逆ならよいのに
2002.6.18
東洋観光取引業者会のゴルフコンペ
なんと、土砂降り
終わったとたんに、晴れ
サンザンノスコア-
   
サッカー、残念でした
でも良くやった
2002.6.17  天気晴れ

朝、新聞で見かけた記事

     記事をクリックすると拡大します

岡谷エコークラブの友達がたくさん参加するらしい
夏沢鉱泉のオヤジさんも懇意にしてもらってるから
ぜひ参加したいと、申し入れておいた
当日、メーキャップもできるし
硫黄に登れるし
晴天を望む
2002.6.16

二日酔い

昼前に、団地内の山田さんの家の工事完了の検査をしてもらいOK!
午後一番に、泉野の知り合いの家の屋根等塗替えの見積に行く
家の中は、豪と二人。高校の試験があるとのことでバスケの部活はお休み
それではということで、冷やし中華を作る
卵焼き・レタス・トマト・きゅうり・ハムがないのでウインナ-の細切りをいためたもの等を乗せ
作る。ウインナ-は、結果、合わないということがわかる
その後、サッカー観戦に移るが眠気に耐え切れず昼寝
父の日に、息子と娘よりゴルフ用のシャツと、ナイキの携帯入れをもらう
夕食後、ダンス
ダンス終了後、サッカー観戦。すごい試合だった
スペインが勝って良かった。ファウルを犯してペナルティーキックを与えてしまった選手の
心境を考えると・・・・・・・オウンゴールと同じことだから
以前、オウンゴールの選手がピストルで撃たれた死んだことを思い出す
2002.6.15

夕方より、中野へ行く
焼酎をしっかりいただき、又宴会になってしまった
息子夫婦が帰ってきたのは夜中近く
友人の結婚式の二次会に行っていたそうで少しだけ話す

ハワイでの、結婚式の写真のすばらしさ
やはり、雲泥の差だ。
2002.6.14

サッカー日本代表決勝進出おめでとう
緊急の仕事のため前半はラジオで聞く
後半は、何とかテレビ観戦することが出来た
すべてがうまくかみ合い活躍するべき人が活躍したので
とても気持ちよい試合だった
時の流れの中でのバイオリズムのよさ
多分、この日が日本サッカーチームにとってピークのような気がする
あがれば落ちる・・・その落ちるのを水平に保つのが監督の役目かな?と思う
トルコ戦は、見るほうもきつそうだ。だが、ふんばって勝ってほしいと思う。

夕方、披露宴の集合写真をもらいに行く
やはり、悪い予想があたり、良くない写真だ

7時より、清陵同窓会準備の会合に行く
ちょいと、飲みすぎ。
仕事の依頼を受ける
早速、行ってこよう


2002.6.13  天気ずーっと今まで晴れなのに

本日のテーマ   久々に怒りに震え・・・ふざけんなよ〜〜〜〜

長男の結婚披露宴にスナップ写真を写真屋さんにお願いして(友人の写真屋さんに頼もうと思ったけれど、セットで頼んでしまった)写してもらったところ、愕然、何だこの写真はと、怒りに震えてしまった

定価5万円のスナップ写真なのに、ただ、写しただけそれもぼやけ、色は悪く、最悪なのはお客さんの写真が一枚もない。その上、古いタイプのアルバムにたった90枚貼り付けただけで、その写真からは、何も感動が伝わってこない。。何度も、いろんな人の披露宴のスナップ写真を見せてもらい、我が家もこのように残したいと思い、家族や招待した友人に頼めないからこそ、プロに頼んだのに・・・・。

いまや仕事は、どのようにしたらお客さんに喜んでもらえるかを最終目標にして毎日命がけで仕事に取り組んでいるのに、何だこの写真屋は!。新郎新婦、家族、出席者の表情を捕らえるタイミングは悪いし、かわいくきれいに撮ってあげようという、気持ちが伝わってこない、披露宴の合間に娘や息子や友達がとってくれた写真の方がよっぽどいいんだから・・・・・。

まだ息子夫婦には見せてもいないし、その他の集合写真もまだ出来ていないからとても心配になる
一生に一度の我が家の長男の一大イベントの記録が残せない悔しさを誰にぶつけようか。決まっている・・・。

披露宴での写真以外は完璧で嬉しくて、担当者と感激の涙まで流したのに・・・・・・
ハワイのスナップ写真のすばらしい事といったら、雲泥の差いや天と地の差。サービス精神がぜんぜん違う
こんなことが通るようでは世も末だ。何処の写真屋か知らんが、お金で解決したいなどとふざけたこと言っているようだが、二度と撮れない写真なのに、相手の気持ちを何にもわかっていない。これぞ!今の日本の風潮なのか。
お仕置きは厳しいと覚悟せい。

2002.6.12

西茅野ゴルフ練習場のゴルフコンペ
雨覚悟なのに、なんと一日晴れ
前半47 バーディーもあり、まずまず
昼にお酒をいただき、後半は言いたくない
それでも、隠しホールがうまくはまり114人中51番目


アイアンのヘッドの重さを感じてスウィングしていた前半は良かったのに
・・・・・・・・・・・・・・
2002.6.11

雨の天気予報にだまされる
屋根洗いに絶好ということで、予定を組んだのに・・・・
ロータリー定例会
若御子君の卓話を聞く
夕方より強い雨
明日はどうなることやら
そう!明日はゴルフなのだ
夜ちょっと練習に行ってこよう・・・・
2002.6.10

又月曜日が来た
何かと忙しいが何事もなし
夕方、岡谷の帰りに、児湯へ寄る
2002.6.9

昨日は、山の帰りに縄文の湯へ、ビール、つまみを持ち込んで小宴会

足の痛みが少しでるも、今日出るということは、まだ若い
十時くらいまでだらだら過ごし
夜はダンス教室
サッカーが気になり、ダンスどころではなかったが
サッカーを見ながら、ダンスの練習となる
さすがに、9時半以降はサッカー観戦となる
勝ってよかった
2002.6.8    

さあ、久しぶりの山行きだ
朝、4時起床
玄関に、娘の作った弁当がメモとともにおいてある
昨夜、頼んでおいた成果の現れで、ちょっと嬉しい
娘は、神戸のクリニックのコンサートでピアノを演奏するために出張との事
4時半に牛山事務所へ迎えに行く
栄作君を待っている間に、コンビニへ行き水分と朝食のおにぎりを調達
高速で塩尻まで
その後、木曽路をひた走り王瀧経由最終田の原駐車場へ到着7時

    

天気良し、目の前にドカ〜ンとでっかい御嶽が迫る
駐車場には十数台の車が登山者を見送っている
鳥居の前で、記念撮影
若いカップルに写して貰う
参道の砂利道からスタート、久しぶりの山行きに足も軽快に弾む

      

歩き始めが平坦だと非常に楽だ
軽口をたたきながら、徐々にエンジンの回転を上げてゆく
車の暖気運転と同じで、いきなり急斜面のときはどうも調整が難しい
その点御嶽は、初心者には大変やりやすい山かもしれない
600メートルくらい行くとそこからいよいよ階段状の登りに入る、もうトップギヤ−にはいる

    

標高2,180メートルから登り始めるためわずかな時間で、森林限界に到達し

       

目の前は、恵那山遠くは甲斐駒?、が雲海の上に顔を見せる
空は、青く澄み渡り薄くたなびく雲、秋の空のようで気持ちがいい
地震の断層の後の、崩壊の様子も見られ、なるほどと感心する
こうしてみると、信仰の対象としての御嶽なんて!山登りには簡単すぎるような印象をもっていたが
とんでもない、登り始めてわずか30分で、すばらしく、密度の濃い山であることに気づきワクワク・・・

      

そろそろ、福太郎君が遅れ始めるが、栄作君と二人で無視してどんどん先へ行く

      

雪渓をトラバーしなければいけないところで福太郎君を待つ
雪渓を横切り奥の院方向へ向う

栄作君に雪を切ってもらい後に続く
自分の靴は8年経つので靴底が減りとても滑りやすいため、軽アイゼンをつける
後から来る福太郎君にもつけさせ慎重にトラバーする
栄作君は、たいしたもんでアイゼン無しで雪を切り足場を作ってくれた
トラバーした後、もし滑落していたら新聞で、無謀場登山者と非難されるだろうな、などと平気な顔で
我々を、危険な目に合わせて・・・・・・・・・

    

10時30分奥の院へ到着
さすがにこのコースは他の登山者は来ない
あたりまえだ、右の迂回コース(本当はこちらが迂回コース)を取れば雪もなく
安全に通過できるのだ。だから、このコースは普通は来ない
しかし奥の院からの火口の眺めはすばらしい

    

地球誕生のなごり、さらにガスが噴出し硫黄のにおいが辺り一面に漂う
王瀧山頂まで横伝いに岩場の尾根を歩く、岩場のスリルも少し味わう

    

山頂より、最後の登り剣が峰まで
今までの登りが比較的階段状のため、少し、足に来る
最後の立派な石段(82段)がきつい

    

到着、遅れた福太郎君を待たずに山頂で早々弁当を広げる
程なく福太郎君も到着し登頂を喜ぶ

     

ことさら、奥の院経由で来たことが嬉しく、他の皆と違うという優越感に浸る

    


娘の作ってくれた弁当は、うまい
お礼に、メールを送る
11時頃まで山頂を楽しむ

あとは、下るだけ
おまけ、滝があった                   

御嶽のことをもっと詳しく知りたい場合は、大又山荘のページへどうぞ
   
2002.6.7

5月より取り掛かった社長担当の現場10箇所くらいが今週でほぼ終わり
忙しかったために、自分で担当せざるを得ない状況だったが、本当は良くない
現場を見ている間は、他の仕事がおろそかになる
人間、24時間も働けるわけないのだから、現場管理も、営業も、経営も無理に決まっている
せいぜい、一ヶ月がいいところだろう
でも、なぜか充実感はある。ねっからの職人なのかもしれない。

明日は、御嶽登山なので今日中にまとめが忙しい
明日の準備をし早々に休む
明日は、四時起きだ
2002.6.6

深江宅、足場ばらしの前の最終チェック
朝八時より
丁寧な仕事をしてくれてありがとうと、誉められた
明日は、足場ばらしだ
2002.6.5

支払日
暑い暑い日
泉野小学校プールの文字入れ終わり
完成
プールで喜ぶ子供達の完成と笑顔が目に浮かぶ
特にこのような仕事は完成したときの喜びが大きい
2002.6.4

夕食後に、甘いものが食べたいと言うと
おいしい、最中が出てきた
やっぱ食後は、おいしいお茶と最中やね!などといいながら食べていると
わか子さんが、笑いをこらえている
言いたくてしょうがないときの表情がありありとでていたのだ
何がおかしいのだと問い詰めると
先日、黴の生えた柏餅を、私がうまそうに食べていたとの事
あたればわかると思ったから、言わなかったといい
げらげらと真っ赤な顔をして笑い転げている
今まで、のどから出かかっていたののを、よっぽど我慢していたのだろう
息子も。娘も、あきれているまもなく一緒になって大笑い
ああ!疲れた
2002.6.3

今日は54歳の誕生日
家族、会社それぞれが、それぞれの形で祝ってくれた
息子の嫁さんが、ゴルフのアイアンのカバー
高校生の息子は、清陵バスケット部のキャプテンになったと・・・
涼子は、東京研修の帰りにおいしいケーキを
妻は、ネクタイを
自分には、とりあえず良くやっていると誉めてやり
息子からはは、もう一人の娘を、プレゼントしてもらったり
などなど、盛りだくさんで嬉しい

そんなわけで、つい65歳まで仕事をしようと考えてしまう愚か者になってしまう
60歳過ぎてからが本当の仕事のできる人間になれる
ただ顔を出すだけで、仕事になる
ひとつの仕事に一筋に生きたからできるのではない
ひとつの能力しかないから、一筋になる
どうせ自分の人生、昨日と違った道に進むのもいいだろう
幾つになっても、勉強し、新しい仕事に挑戦する
ひとつの仕事を全うすることは、イコールそれしか能力がない?
今までの日本では、そんな人が尊敬されてきた
でも、5年一昔の時代に、時の流れに沿い
勉強し、また別の夢を求めて進む・・・・
今の日本人は、それを忘れている
開拓精神旺盛なアメリカに追いつけるはずもない

てなことを考え、今宵もふけていく
それにしても世界の、サッカーはすごい
2002.6.2
バスケ大会二日目
忙しく応援に行けず
惜しくも敗退とのメールが届く

2002.6.1
息子の結婚式からもう一週間たってしまった
待っている間は長いのに、終わってしまえばあっという間
延べ11日間に渡る一大イベントも終わり
あとは、清算書が怖い
鷺の湯さん、よろしく

午後二時より、豪の清陵バスケット部の県大会があるので応援に行く
今日は、楽勝、明日が問題
       

      

清陵時代に同級生だった伊藤君が顧問の先生で来ていて、嬉しかった
コーチの鎌倉はもちろん
バスケットでしばらく楽しめそうだ  

2002年6月の独り言

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