2000/9/4
20周年
例年のとうり、と言うより例年より遅くやっと涼しくなり体調ももとに戻りやる気が出てきた昨今です。
9月1日はシールペイントの創立20周年記念日ということで、感慨深いものがあります。
16歳で軽自動車の免許を取り、高校・大学と塗料の配達等のアルバイトをして、塗 料というものに親しんできた結果
大学卒業と同じに、埼玉県の塗料メーカーに就職し、東京は板橋の職業訓練校夜間の 塗装科に約2年間通い
塗装の基礎の勉強をし、更に会社では、現場を半年、研究室に1年半と考えてみれば 塗料まみれでした。
塗料に親しみ始めたのがおやじの木琴工場のニスを木に塗って遊んでいた七歳頃から と考えると
なんと、45年以上塗料一筋で来たことになる。誰か表彰して??ほんと一生もんだ!
今から27,8年前のメーカーの設備は今とは雲泥の差で臭いは、シンナーで酔う は、
ドラム缶起こしでぎっくり腰になるはと 今から見ると劣悪な条件の中で仕事をしていました。
そんな中で信じられないような 話を2・3。
 研究室には、今の電子レンジよりふた周りほど大きい電熱線を使った塗料の乾燥機 がありました
普通は、見本の板に塗料を塗り指触乾燥後(つまり、シンナーが抜けてから)
乾燥機 に入れ硬化させると言う機械です。
当時、支給されていた作業服を洗うのにまず石油缶の中に洗浄用のシンナーを入れ
その中に作業服を浸し約1日後に 取りだし、
ふやけた塗膜を外のポーチのコンクリートの上でたわしでこすり洗うとい う方法で洗っていました。
乾燥後、洗濯機に入れ洗い、乾燥させて終りと言う手順で大切に使っていました。
ある日、上司と言っても2歳上の技術系の短大を出た人ですけれど、
彼が急いで作業服を洗わなくてはいけない 用事ができ、
シンナーで洗った服を一応天火で乾かしたつもりで、なんと乾燥機にぶち込んだ訳です
何せ今の乾燥機とは違い電熱線コイルを使っているため温度上昇と共に衣服に残って
いたわずかのシンナーが気化し充満し、ボン!!!。大騒ぎでした。
それでも当時埼玉県はというより、山形・北海道出身の人が大半を占めていた
会社でしたから、のんきなものでほとんど気にせず、まあしょうがないと言うことで
一件落着しましたがその上司と2年間会社の寮の相部屋で苦労しました。
酒は飲む、部屋の掃除はしないということで
当然後輩が部屋の掃除をする羽目になりましたが、3ヶ月で部屋の真中より二つに分 け
自分の方しか掃除をしませんでした
部屋の真中のテーブル(コタツ)の真中よりこちらはピカピカあちらはゴミの山・・ ・!
木下さん今どーしてるのかな?
 ついでに信じられないもう一丁。
塗料メーカーというものはイツでもシンナーをいかに扱うかと言う
大変危険で重要な課題を持っています
昨今、樹脂メーカーの反応釜等の爆発に見られるように
ほんとに工場内に爆弾を抱えているようなもんです
そんなシンナー・アルコール系塗料の製造工場の中で溶接作業があり、
担当部所の社員約10名で溶接の火花の落ちる場所を取り囲み、
石油缶に水を入れ常に撒きながら更に消火器を構え作業を進めました
作業も終りにかかろうとするとき、なんと会社の常務(社長の息子)が、間違えて
先刻の研究室の中の話に出てきた例の作業服をいれてある洗浄用のシンナーを
水と間違えて撒いてしまいました。
当然一気に燃え上がり壮大な消火訓練となってしまいました。
まあ、大勢で待機をしていたために事無きをえましたが、なんとあほなことか!
当然社長に怒られていました
つまり、現場を知らない人間は余計なことに手を出すな!という教訓を得ました
現在、わたしは、社長と言う職務柄労災は効きません。
よって危険作業は行わずなるべく地上から指示することにしていますが
何せ、昔から高いとこが大好きだったので、少々刺激が少ない毎日を送っています
社員には「おまえが落ちても労災その他万全の保障があるから、おまえが昇れ」
と言っている社長です
社員の陰口「社長が死ねば会社には億というお金が転がり込んでくるから・・・」
と言うふざけた社員に囲まれているわたしは
不幸でしょうか?幸せでしょうか?特に、わたしが飛行機で旅行に行くときは
ほんと快く送り出してくれる。
その前にちゃんと会社受取の保険をかけさせられて・・・
しっかりした社員たちだ。ただただ感謝!!!!!?
2000/9/17
 9月に入り、風邪もなおったと思ったのに今度は久しぶりに鞭打ちが出てしまった。
10,11日と北海道に一泊二日のゴルフ旅行があり、朝四時にマイクロバスにて出発。
去年は、九州へ行ったのだが、前回のジャンボタクシーの運転のあまりのひどさに
諏訪インターへ入る前から車酔いをしてしまい羽田につくまで全てのパーキングに寄ってもらい
ゲーゲーすると言う悲惨な思いをしたため
今年の春の沖縄行きのときはわざわざ前日から東京へ泊まるという準備をし、
車酔いを防いだものです。このグループは、諏訪大社ロータリークラブゴルフ愛好会と言い
飛行機の操縦もするというメンバーの運転によるもので「早い早い揺れる揺れるわ」で
大変な目にあっていたわけです。
ところが、今回運転するはずの飛行機乗りが直前ドタキャンとなり、
運転手が変り落ち着いて乗っていれたわけです。
ところが、わたしの場合過去にスキーで大転倒し首の鞭打ちをしてしまい
1番7番の骨がずれてしまっているのです
ですから、常に頭を垂直に保つように心がけているのですが、
あまりの乗り心地の良さにうっかり 首を折って1時間も寝てしまったのです。
気がついたときは時すでに遅く、首・肩と激痛が走りこれでゴルフ?
ああつらい!!帰りたい、整体へ行かなくては!まだ旅の始まり・・
どうしよう、これでゴルフではしっかり負ける
ホテルの枕は?温泉でもあればまだしも、ススキノのど真ん中のビジネスホテル。
カニ、ラーメン、イクラ、みな 尿酸値高くなりそうなものばかり、
これが楽しみだったのに首と肩の痛みにはこれがいちばんいけないのだ。
こんな絶望感をもって北海道まで一泊二日の旅、考えただけでもつかれた。
でも出発してしまった。
   結果は、いわずと知れたものよ!
帰りに千歳の空港でやけくそで、馬糞ウニを下駄で口の中がウニ臭くなるほど食べてしまった
ああ!尿酸値が心配だ
更に、帰りの名古屋空港の上空に例の大水害を起こした低気圧が停滞し
30分以上待たされ、いよいよ待ちきれず午後7時頃の豪雨と風の中を強行着陸
(少なくとも乗客全員 これ以上の経験となると落ちるしかないと思っていた)
し、事無きをえました。
機長のアナウンスが「これより名古屋空港に侵入します」だと!!
「着陸します」と言ってもらいたかった
飛行機は怖い、昇ったら降りなくてはいけない。
当たり前のことをつくづく思い知らされた飛行機でした。
更に、道路は水浸し、高速道路も土砂降り、通りすぎた直後に高速通行止め
。 それでも無事帰り着いたわたしは、まだ運に見放されていないのだ!
 首と肩がいた〜い!
2000/9/27
趣味の一つに、社交ダンスがある。始めて早7年目になる。
ダンスには、モダン・ラテンその他と分かれ行われる。
モダンは優雅に男女が組み、比較的スローな感じで踊る。
ワルツ・タンゴ・スロー・ブルース(?)などはモダンと言われている。
ラテンは、ルンバ・ジャイブ・サンバ・パソドブレ・チャチャチャなど、
速いテンポで踊る。
 社交ダンスを始めたきっかけは、岡谷のえらい先生達のグループに
若者と言っても45歳くらいのときに、数人入会しそのとき
「君達若いもんは、社交ダンスというものをできるかね?
外国へ行ったときは必ずダンスパーティーがあるから」
と言われ「できませんよ!そんなもの!」と言ったところ。
その場ですぐ決まり翌週より10人でダンス教室へ通う羽目になった。
初日よりすでに四人脱落、翌週又二人脱落更に翌週一人脱落で
結局、3人になってしまった。10回のコースで、一回一人3,000円で
団体レッスンのため3万円を毎回用意しなくてはならず
一人1万円というばか高いレッスン料を支払う羽目になってしまった。
それでも、途中で止めた連中(年上の立派な人に対してこんな表現はいけないが)
に分担金を請求するわけにも行かず、文句も言わず確か6回まで練習に行ったと思う。
仲良し3人で、「お互い、レッスンに行けないときは、復習して教え合おう」
なんて、女学生みたいに約束をし、そのために、ダンスを教えてもくれる
スナックへ行き、お互いに教えあったものの、結局、最後に残ったのは
わたし一人。それから早6年。ついには、自分でサークルを結成し、
ホールまでつくり、ダンスパーティーを毎月行い、我、ハワイアンバンド
ダンス用のバンドに変身したりして今に至っている。その間仲良し3人ぐみのうちの一人は
ガンで亡くなり、一人は転職したり、といろいろありそれでも今だに続けているわたしはえらい。
 さて、本題に入るとするか。24・25日と草津温泉で、「草津ふれあいダンス大会」がもようされた。
これは、近畿ツーリスト主催のツアーで、いろんな趣味をテーマにした旅行を計画する
「クラブツーリズモ」と言う内部クラブがあり、たとえば山登り大好きクラブ・フラダンスクラブ・
シルクロードを追及するクラブなど、数え切れないクラブがあり、そのクラブ毎に
ツアーがあるというわけで、今回はその中の「ダンス大好きクラブ」に参加したと言うわけだ。
草津町のダンス愛好者も含め総勢150名が町民体育館に集まり、助役等が挨拶をし
町を上げての歓迎状態に、東京方面から参加した人達はその田舎っぽさに感激。
なぜ、このツアーに申し込んだかと言うと、バンドと歌手がすごい
特に女性歌手名前は「サンドラ」ダンス音楽のCDには必ず入っている歌手で
すばらしい体格から出るやさしく・太く・パンチのある声はいつもあこがれだったのだ。
その歌手が目の前で歌い、その音楽に合わせて次から次へと踊る・・・。
期待どうりのステージで、たのしく、明るく二時間半があっという間に過ぎてしまった。
  参加者の平均年齢はどう見ても60歳。げんきがいいの何の。
52歳の私もたじたじ。こりゃいかんもっとガンバラにゃと思い、頑張った。
その中で、一人の男性に釘付けになった。
背丈はすらっと、多分65歳以上、チョットはげているが白髪、黒いダンスズボンに
からし色の地に黒い模様のついた長袖の衣装を着、飄々と踊る姿は今までに見たことがない。
かなりの経験と、技術があるのは窺い知れるのだが、決してそれを表に出さない謙虚さ。
とかく、人に見せびらかしたがるのがダンサーなのだが違う。
うーん、ああなりたい。こんな人はどんな人生を送ってきたのだろう。
きっと名のあるお方なのだろうか。 などなど、興味は尽きない。
  そして、温泉につかり、持ち込んだワインを皆であけ楽しく過ごした。
そうそう、その前にちゃんと、本白根に登ったり、やることはちゃんとやってきた
充実した1日半でした。  どうだ、まいったか!!


2000/10/17
10月7.8日は、ロータリーの地区大会。
7日は蓼科のアートランドホテルにて会議。受付の役目が終りやることなし。
ロータリーメンバーの蓼科湖畔の「湖の美荘」へ行き、茸をつまみにほとんど1日過ごす。
最後は、温泉につかり帰宅。何しに行ったの?
8日は車山に7時に集合。又受付。寒い。
この日は金閣の当番なので3時までお手伝いをして帰らせてもらう。
この3連休の二日は終ってしまった。本当は、百名山に登る会で一泊二日で
常念に登る予定をしていたのに、あ〜残念!!
 11日に、岡谷のO先生に誘われレイクヒルで4人でゴルフ。
5番ホールのドライバーを打った瞬間!親指から手首にかけて激痛が!ウ・・!
コックができない。フォロースルーが取れない。
途中棄権しようと思ったが、手首を曲げず、フィニッシュでは身体を思いっきり回転させ、
右手にてクラブを振ると言う方法を取り、さらにフェアウェイでは5ウッドを短くもち
距離あわせのパンチショットで、一応18ホールを回ってきた。根性以外何物でもない。
結局3人全員に負け、お小遣いが、・・・・・。
 この日は夜御殿の湯で宴会の予定があり、そうそうに山へ行く。
翌日天気が良ければ、天狗までひとっ走りと思いちゃんと登山靴とリュックを持参する。
さらに、女将は悪いがお気に入りのワインを持ちお風呂を楽しみに暗い夜道をくねくねと行く
満月に近い月夜、ためしにライトを消してみたがやっぱり暗い。
いつもの女将の得意の山菜料理と漬物が最高!
明日のことを考え温泉につかり手首のマッサージをして早々床にはいる。
翌朝7時に出発、5時間の予定だったのだが初心者が一人いたため6時間かかる。
久しぶりの山行きに嬉しくて足が勝手に動いてしまい、自分の体力に自信を持つ。
女将のつくってくれたおにぎりはうまかった。
1時に御殿の湯に着き、温泉に入り、田舎風うどんを頂き帰る。
あ〜〜〜〜幸せ!

2000.11.3
あっという間に、11月。
昨日は、蓼科高原カントリークラブにて40人くらいのコンペがあり、参加。
蓼科の某ホテルの協力会のゴルフで、春と秋に年行われすでに51回大会となる。
ほとんど初回から出ているから古株になっているのだが今までに準優勝二回だけで
今はほんとに低迷している。いいたくないくらい。
ほんとに今年は雨・嵐にたたられ最後のゴルフにこのざま。
前日まで台風の影響で全部仕事はのびのび、そして昨日の天気予報は大嵐!
絶対やりたくない!朝から大雨になれと願いつつ床についたのだが朝起きると
それほどではない。まずい!!この天気だと今までの経過から言うと絶対決行となる
ああ!これなら一ヶ月前にいためた手首のせいにして欠席にすれば良かったなどと
弱気の虫がぞろぞろと歩き回り、ため息ばかり
ほんと、雨の日のゴルフはやりたくない。今は。
昔は、職業柄雨の日は休み・・晴耕雨読の人生よ。
だから晴耕雨ゴルフのほうが気が楽で何ともなくゴルフをしたのに今は、イヤ。
それでも結局ティーグラウンドに立ちドライバーを振りまわす頃には青空。
しかし、午後は土砂降りと風。
先日の名古屋の雨にひってきするくらいのあれ模様
かさをさしてもカッパを着てもグジョグジョ!
更に最終組みとあっては薄暗くなるしパッとは水浸しの為に転がらず首筋からは雨が入るし
今年最後のゴルフなのに、アー-最悪!!

2000.11.7
昨夜は、ダンスサークル『そよ風』の練習日で夜の10時まで練習をし、
二階のホールのかたつけをしていると、いつもの事のように急ブレーキの音が響き渡り
(しょっちゅうローソンの前の道路で交通事故があるため聞きなれているのだが)
「ドッカ〜〜ン・ごろんごろん」と音が響き渡りました。
いつものように、「それ〜〜」!と、窓を開けのぞきき込んだだところ
赤い軽ワゴン車がものの見事に道下に転がっていました
ドアを下にした状態で。
すぐさまいつものように階段を降り、かけつけたところすでに見物人が10人くらい群がり
車の中から助け出そうと騒然としていたのですが、
ドアをやっと開けて出てきたのは、20歳くらいのチャパツのお姉さんで
皆が、救急車・・・といって手配をしているのに第一声が
「ど〜してくれるのよ!!これじゃ帰れないジャン!誰が車をなおしてくれるのよ、
救急車なんか要らない!」とのたまったのだ。
そばには、人のよさそうなやさしい青年がたたずみ心配そうに眺めていました。
多分、その青年が、うちのローソンの駐車場から出てきたところをよけようとして
ハンドルを切り損ね、道路表示板のポールに激突し転落したものと思われます。
車同士の衝突ではなく、スピードの出し過ぎによる前方不注意の事故ということになってしまうのでしょう
ですが、その青年は責任を感じ警察の質問に答えていましたが、その女の子は
救急隊員が近寄ると逃げるように離れ携帯を握ったまま電話をしながら更に遠くへと離れていきます
そのうえ、警察が近寄ろうとすると、いやがって逃げているようにしか見えません
更に、良く観察すると、ピンクのミニスカートにスパンコール(おじさんにはきらきらした服は
何でもそう言う風にしか見えないが)のピンクのブラウスを着、結構な化粧をしています
多分宴会がえりのコンパニオンのお姉さんが、少しだけお酒を飲んで運転士して
スピードの出し過ぎと前方不注意で起こした事故だったのではないでしょうか。
やさしそうな青年と、おきゃんな娘、それに振りまわされる救急隊員と警察官。
それを取り巻く野次馬。全く今の時代を象徴するような事件でした。
私も何時までも野次馬やってるわけにもいかず、彼女が希望どうりに置きざれにされ
それ以上の事件にならないことを祈りつつ家に帰りました。
今朝見ると、きれいにかたついていました。
お世話になった「てんほう」の店員さんやらローソンの店長さん等に御礼の挨拶が
あったのでしょうか?少し心配です。

2000/8月のひとりごと